乳がんの予防と検診 ~乳腺専門医のジレンマ~
乳腺科乳がんにならないようにはどうしたらよいですか?
「乳がんにならないためにどうしたらよいですか?」
何度も質問された言葉です。
誰でも病気には当然なりたくないでしょうし、医者としても病気になる人を減らしたいと思っています。また、社会福祉の面でも、国民が元気に生活できる健康寿命が延びることはよいことです。
かつて、日本人の三大死因は 脳卒中・心疾患・悪性新生物と言われ、国も対策を始めました。
厚生労働省が2020年6月に発表した、令和元年(2019)の人口動態統計月報年計(概数)の概況より、「主な死因別に見た死亡率の年次推移」の図を示します。
悪性新生物(がん)が急激に増えてきているのが目立って気になると思いますが、がんの話の前に、先に脳血管疾患の話をさせてください。
脳血管疾患で亡くなる方が昭和50年代から確実に減少しています。脳血管疾患は脳卒中とも言われ、脳の血管が詰まる(梗塞)または破れる(出血)ことで脳の細胞が障害される病気です。つまり、血管の病気であり、その主な原因は動脈硬化です。
そして、高血圧、糖尿病、コレステロール異常は動脈硬化を引き起こすため、検診でチェックし早めに対策をとることで、脳卒中の予防効果があるとわかっています。
さらにこれらの病気は「生活習慣病」ともいわれ、塩分制限、バランスよい食事、適度な運動、十分な睡眠などを心がけることが病気予防につながるとわかっています。また喫煙や過剰なアルコールも原因となります。
つまり生活習慣病の治療は、病院で薬をもらうだけではなく、自分自身での生活習慣の改善も進めていくという、医者と患者の共同作業であることが常識になってきています。
さて、悪性新生物の予防はどうしたらよいのでしょうか。
生活習慣の改善のように自分でできることとしてがん検診が勧められています。
がん検診では、採血や便の検査、レントゲンやバリウム検査、内視鏡、マンモグラフィ、エコー、子宮頚部細胞診など様々な検査を行います。
これはがんの予防になるのでしょうか。
結論から言ってしまうと「がん検診=がんの予防」ではありません。
それでは検診は意味がないのか?と聞かれると、「現時点で最も効果のあるがん対策である」というのが答えになります。
これを説明するためには、増え続けている悪性新生物がどんな病気か先に説明する必要があります。
悪性新生物とは本来からだの中にはない、腫瘍(しこり)ができる病気です。その腫瘍が「上皮系」と言われる皮膚や粘膜、分泌腺などから発生したものを「がん」といい、悪性新生物の大部分を占めます。(他には血液のがんと言われる白血病や肉腫などがあります)
がんは細胞の病気
がんは、自分の細胞が何らかの原因でエラーを起こし、がん細胞となって異常に増えてしこりを作る病気です。つまり細胞の病気なのです。
人間の身体は約60兆個の細胞でできていて、その役割から250種類ほどに分類されます。それぞれの細胞が、役割を果たしながら、分裂して同じ遺伝子を持つ新しい細胞をつくり、役目を終えた古い細胞が体の外へ排除されています。これを新陳代謝と言います。1日に約1兆個もの細胞が入れ替わると言われています。
この新陳代謝がおこなわれる中で、ウイルスや喫煙や加齢やホルモンや日光など、様々な影響で、遺伝子の異常を生じたエラー細胞が一定数発生します。これを突然変異と言います。1日におよそ5000個発生すると言われています。
エラーが起きても、ほとんどは免疫機能が働き、発生したエラー細胞がからだの外へ排除されます。しかし、何らかの原因でからだの中に残り、さらに異常に増え続ける機能を持った細胞ががん細胞です。
つまり、がんを予防するということは、からだの中で免疫細胞が戦い、全勝してがん細胞を発生させないようにするということです。突然変異によるエラー細胞の発生を完全にゼロにすることはできないとすると、以下の2つが重要になります。
- エラー細胞の発生をできるだけ増やさないようにする
- 免疫機能がきちんと機能して、エラー細胞の排除を確実におこなう
それでは、がん細胞の発生を予防するために、具体的にどうしたらよいでしょうか。
エラー細胞の発生原因はさまざま要素が関連していると言われています。がんの種類によっては特に関連の深いものがわかっているものもあります。例えば、子宮頚がんはヒトパピローマウイルスが関連していると言われており、ワクチンで90%予防できると言われています。(ヒトパピローマウイルスと子宮頚がん)
乳がんの場合は女性ホルモンのエストロゲンが最も関連が高いと言われています。ですが、複合的な要因もあり不明な部分も多いです。遺伝性のものもあります。
ほとんどのがんに共通するものとして、喫煙、加齢などがあげられます。その他、免疫機能を良好にするためのバランスの良い食事、適度な運動などもがん細胞発生予防に一定の効果があると考えられています。(乳がんの原因と予防について)
乳がん細胞発生と乳がん診断の違い
乳がんは乳腺の細胞から発生したエラー細胞ががん化したものですが、残念ながら、乳がん細胞の発生自体を検出する方法はまだありません。
それでもせめて、乳がん検診で見つかった早期のがんなら、自力で治すことができるのでしょうか。
残念ながらこれも基本的にはNOです。
検診で乳がんのしこりが発見された時点を乳がん診断とします。
今まで説明した通り、がんのしこりはがん細胞の集まりのことです。がん細胞が異常に増えてかたまりを作ってくることで、病気として認識されるようになってきます。乳がん検診の場合、1cm前後で診断されることが最も多いです。
乳がんのしこり1cmには約10億個のがん細胞が含まれています。この1cmのしこりができるまでに約10年かかると言われています。そして、直径1cm→2cmと倍の大きさになるまでには、すでにある多数のがん細胞が一気に増えますので、約1年と言われています。
つまり、乳がんと診断された時点では、すでにがん細胞発生から年数が経っていて、がん細胞の数もめちゃくちゃ多くなっているのです。
重要なのは、乳がんが診断された時点から、がん細胞の発生を予防するような考え方でがんの治療をするのは難しいということです。
現在は早期に「がん診断」を受け、適切な治療を受ければ治ることが多くなっています。ですが、「がん診断」の時点からがん細胞の発生を予防するような方法で治すことはできません。(乳がんの治療について)
今は乳がんについて正しい知識を啓蒙できる場がほとんどありません。そんな中、皆さんが自らできる乳がん対策として「乳がん検診を受けましょう」とキャッチフレーズ化しています。
でも、実は検診で乳がんが発見されたところから、乳がん予防はもうできないんだよという理解が十分にいきわたっていないところに、乳がん啓蒙の難しさを感じます。(でも検診は受けた方がよいのです!もう少しだけ読んでください!)
もちろん、がんの種類によっては、検診ですごく早く見つけることができて、予防に近いことが可能であったり、治療が非常に進歩していて、早期にみつかると体に負担の少ない治療ができる場合もあります。今後、乳がんもこのように予防と検診と治療のタイムラグが少なくなってくる可能性は十分にありえます。
理想的な乳がん検診
少し前に乳がんは1cm前後のしこりで気付かれることが多いと述べました。しかし、乳がんの形には非常に様々バリエーションがありますし、乳腺そのものも個人差がとても大きいです。
マンモグラフィは現在できる検診の中で最も効果が認められている方法です。
ですが、まだ理想とは程遠いのです。乳腺超音波(エコー)も検診でよく用いられます。どちらの方法でも検診で乳がんを100%見つけるのは困難ですし、逆に見つける必要のない良性の変化を見つけてしまうこともよくあります。
乳がんについて皆さんに知ってもらい理解を深めてもらうために「乳がん検診を受けましょう」と言いますが、かといって「乳がん検診だけ受けていれば安心です!」とも言い切れないところに乳がん検診の限界があり、乳腺専門医としてジレンマも感じます。
理想的な検診方法を図に示します。乳がんを見つければよいというわけではないのです。
「マンモグラフィ=痛い」というイメージもだいぶ固定されていますが、携帯電話が進化してスマホになったように、マンモグラフィも進化し痛みはだいぶ減っています(ゼロではありませんが。。)
検診方法もどんどん研究されていますので、今のものが改善されたり、全く新しい方法に変わったりしていくことでしょう。(乳がん検診について)
乳腺専門医として、現在のがん検診に感じているジレンマを述べましたが、皆さんが乳がん検診のデメリットにばかり目を向けて、受ける人が減るのはナンセンスです。がん検診を受けていただくことで、その効果と限界をご説明できる機会を私たちも作ることができますし、さらに理想的な検診方法の開発にもつながっていくと思っています。